今年も早いものでもう12月23日。年末ジャンボ販売の最終日となってしまいました。
私は無職なので宝くじを買うわけではないのですが、昔もらった宝くじの換金のために宝くじ売り場に行ってきました。
宝くじ売り場に行ってみたら、行列ができていた
年末ジャンボ宝くじの最終日。とはいえ、「昼過ぎなら空いているだろう」と思い、宝くじ売り場に立ち寄ってみました。
ところが予想に反して、売り場にはそこそこ長い行列ができていました。しかも並んでいるのは、ほとんどが年配の方々です。
宝くじはもう下火だ、若者は買わない――そんな話をよく聞きます。
それでもなお、年末になると人は並ぶ。
この光景を見て、「宝くじという制度は、思っている以上に根強いのではないか」と感じました。
宝くじの売り上げ推移を見ると、やはり若者離れは進んでいる
気になって調べてみると、宝くじの販売実績は確かに長期的には減少傾向にあります。
ピークは2000年代前半で、年間1兆円を超えていた時期もありましたが、現在は7,000~8,000億円規模まで縮小。
また、購入者の年齢構成を見ると、
- 中心は50代・60代
- 若年層の購入率は相対的に低い
という傾向がはっきりしています。昼間の売り場で見た「行列の年齢層」は、統計とも一致しているということです。
宝くじは消えたわけではない。ただし、買い手は確実に高齢化している。
宝くじの歴史
「江戸前エルフ」というアニメで、江戸時代にも宝くじの起源になるようなものがあったと言っていた記憶があります。ちょっと宝くじの歴史を調べてみました。
江戸時代の「富くじ」
日本の宝くじの起源をたどると、江戸時代の「富くじ」に行き着きます。
当時の富くじは、寺社が資金調達のために行うもので、庶民にとっては数少ない人生逆転の手段でした。
明治時代に消滅
明治政府は近代国家建設の過程で、「富くじ」を迷信的・賭博的として全面禁止します。
これにより、1872年(明治5年)に宝くじは一度、日本から完全に姿を消しました。
戦後復活:日本初の近代宝くじ
宝くじが復活するのは戦後になります。
復興財源を確保するため、「当せん金付証票法」により、宝くじは地方自治体の財源確保手段として制度化されたのです。
一攫千金から「娯楽機能付き租税」へ
つまり現代の宝くじは、
- 表向きは娯楽
- 実態は公共事業を支える準租税
という二重構造を持つ存在といえます。
運で人生を変えるための仕組みから「夢を見る機能を持った財源調達制度」へと性格を変えてきたのです。
現在も制度運営の中核を担っているのは 日本宝くじ協会 であり、この「公営・公共性」という建前は一貫して維持されています。
若者は宝くじではなく、別の娯楽へ流れた
さて、宝くじの若者離れが進んでいるというデータがありました。しかしそれは、若者が「夢を見なくなった」わけではない、と思います。
単に、夢を見る手段が変わっただけではないでしょうか。
- ソシャゲのガチャ
- スマホで即結果が出るスクラッチ
- サブスクやオンライン娯楽
これらは宝くじに比べて、
- 手軽
- 即時的
- 演出が強い
という特徴を持ちます。
皮肉な話ですが、宝くじは
「結果が出るまで待たされる」「売り場に行く必要がある」
という不便さゆえに、使いすぎにくい娯楽でもあります。
若者が流れていった先は、より刺激的で、同時に歯止めの効きにくい娯楽でもあるのです。
歴史を通じて変わらない宝くじの本質
宝くじは、時代ごとに役割を変えてきましたが、一貫した本質があると感じました。
それは、
社会が閉塞感を持つほど、人は「運」に希望を託す
という点です。
- 江戸時代:身分社会の閉塞
- 戦後:焼け跡からの再出発
- 高度成長期:競争社会のストレス
宝くじは常に、努力ではどうにもならない不安の受け皿として機能してきました。
現代は娯楽が多様化し、相対的に宝くじの存在感が薄れただけで、この性質そのものは今も変わっていないと思います。
感想:娯楽と資産形成は、きちんと分けて考えよう
宝くじの期待値は低いです。
これは事実であり、金融的に見れば「合理的な選択」ではありません。
ただしそれは、
- 投資
- 貯蓄
- 資産形成
の文脈で見た場合の話です。
宝くじは、資産形成ではなく娯楽である。
期待値を理解した上で、
「年末の風物詩として楽しむ」
「夢を買ったと思って納得する」
のであれば、それは健全な消費です。
問題になるのは、
娯楽を娯楽として認識できなくなったときでしょう。
宝くじに限らず、ガチャでも、何でも同じです。
娯楽と資産形成は、分けて考える。
この一線を守れるかどうかが、大人の金融リテラシーなのだと思いました。

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